わたしの117

日付変わってしまったけれど。

 

1995年1月17日、私は小学三年生、9歳だった。当時は播磨地域(兵庫県の南西の方。神戸は南東の方)のすごい田舎の町に住んでいた。二段ベッドの上で寝ていて、揺れで目が覚めた。震度4だったと記憶している。今なら震度4は、まあびっくりはするけどそんなにたいしたことないよなと思えるが、そのときの私にとってはおそらく人生初の大きめの地震だったはずで、それなりに怖い思いをした覚えがある。

テレビが映し出すニュースで、崩れた建物や広がる炎を見た。母方の実家や親戚は阪神地域に住んでおり、当時30歳(!)の母は気が気ではなかったのではないだろうか。幸い、祖父母や叔母たちはみな無事であった(私があまり知らない遠い親戚まではちょっとわからないが…)。父も、高校の教諭をしており、阪神地域にはかつての教え子たちが多く住んでいたのではないかと思う。

そんな両親がそのころどのように過ごしていたのか覚えていないが、子供の私にできることは何もなく、近くて遠い場所で起きた災害を見守るしかなかったと思う。同年のカレンダーを見ると、15日(日)、16日(月・成人の日の振替休日)で、17日(火)が連休明けだったようである。特に被害を受けなかった私は、生活面では普通に登校して普通に暮らしたのだと思う。

 

この震災について思いを馳せるとき、必ず思い出すことがある。震災で住む家を追われ、一時的に避難せざるを得なかった子供たちが、当時私が暮らしていたあのものすごい田舎にさえも数名、転校してきていたということだ。当時通っていた小学校は全校児童200名前後の小さな小学校だったと記憶している*1。どの学年に何名がとか同じクラスに転校生がいたかどうかとか、詳細はまったく覚えていない。ただ、学校から発行された新聞のようなものに、彼ら彼女らが書いた(書かされた?)作文がいくつか掲載されていたことを覚えている。詳細な正しい文面ではないが、同年代の少女(たしか女の子だったという記憶はある)のこんな作文が心に残っている。

「仲の良かった友達が、家の下敷きになって死んでしまった。地震なんて大嫌い!」

この作文を読んで私は、近くて遠い場所で起きた災害をより身近に感じたのであった。名前も顔も覚えていない彼女、突然の災害に見舞われ好きだった友人も亡くし阪神地域からすればいろいろとクソみたいな田舎に急に住むことになったのは本当につらかったろうなと想像する。大変だったよね。そんななか、ピンときていない田舎の子供に、起きたことの壮絶さ、悲しみと憤りを伝えてくれて本当にありがとう。(それはそれとして、そんな大変な時分に体験談書いてよ新聞に載せるからって依頼するの鬼では???と思ってしまうが…大丈夫だったのだろうか…配慮があったと信じたいが27年も前だしあまりなかったかもしれない…)

*1:同校のウェブページを確認してみたところ、現在は1学年1学級の全校100名に満たないさらに小さな学校になっているようである。当時は1学年2学級だった気がする。ただ、私もその年、1995年の3月で転校しており、かの地域での思い出は小学三年生までであるが。